『 「痴呆老人」は何を見ているか』感想【読書記録】 高齢者の家族に薦めたい

認知症高齢者見える世界

こんにちは。

今回は、

「痴呆老人」は何を見ているか』を読んだ感想 家族に高齢者がいる人に薦めたい

というテーマです。

言うまでもなく高齢化社会

少子高齢化時代ということで、僕の住んでいるところはそれなりに田舎ということもあり、何となく外出してるだけでも高齢者の方が多く目に付くような時代になり、子供の人数は少なくなっています。

家族として世帯生活をしていて、両親や祖父母あるいは叔父叔母などがまだ健在な場合、将来的に介護などの可能性が出てきます。

そんな中で、次第に認知能力が低下していく高齢者をいち医療人としての視点で見続た。また、その知見から認知能力が低下した高齢者や認知症高齢者の世界を、高齢者側から推測したものを述べているのが本書です。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井玄
新潮新書

高齢者の宅診現場における著者の苦悩

長野県佐久市での認知症および寝たきり老人の宅診事業での認知能力が低下した老人とその家族のこじれ切った終末期の人間関係の描写にリアリティがあふれているのは、著者自身苦しみを抱えていたことの表れで

引用文
何枚もの煤けた感謝状 、昭和天皇が乗馬されている写真などが飾られた暗い部屋で 、尿と汗の混じった臭いを嗅ぎながら 、肋骨の出た胸を聴打診する 。皺だらけの腹部をさわり 、硬く曲がった膝や足首を動かそうとしたり 、腱反射を調べたりするのです 。それが彼らの何の役に立っているのか 、と思いながら … … 。
引用終わり

引用元「痴呆老人」は何を見ているか

このように強い情動が記憶に定着するというのはまさにこういうことで、鮮明に印象づいているからこその描写だと考えられます。

実際に、本人も抑うつ反応を起こしていることを自覚しているので、そのストレスは相当なものだったのだろうと察します。ストレスの中身は医療努力が回復に結びつかない認知症と寝たきりというカテゴリに無力感を感じていたということです。

一方で、回復に結びつかない医療努力の中で、心を通わせると文中で表現している通りに、話に耳を傾けたり心を通わせるだけで調子が良くなった患者がきっかけで救われたという側面もあり機能回復だけが医療ではないという従来の著者の医療観から解放されたことが本人にとっての癒しだったとしています。

認知症高齢者のバーチャルな世界

認知機能が低下した高齢者がどのような世界に生きているのかという点について、青森県の公立精神病院痴呆病棟での話を要約して紹介している箇所があります。

認知症ではない人と同じ世界に住んでいるものの、その世界の中で自分の記憶をもとにしたVRのような世界になっているという話がとても興味を引きました。

病棟の中で、ここは駅前ここは公民館この人は旦那といった具合に認知機能が低下した結果、バーチャルな自分の記憶の世界に生きているようで、忘れたけど脳機能か何かの本で書かれてある「自分の都合に合った認識しか出来ない」的な話に通ずると感じた一方で、認知が低下しても無の世界ではないのだという点には少し安心することが出来ました。

人と人がコミュニケーションをとる上での前提ともいえる認知能力が異なる二者のやりとりというのは、実は想像以上にデリケートな行動であるということを突きつけられるわけです。

この認知能力が噛み合わないまま、噛み合っているものという前提でコミュニケーションしていることが、高齢者および認知症の人とそうでない人とのコミュニケーションの難易度を上げて辟易する現状になっているのだと考えることが出来ます。

互いの認知世界とコミュニケーション

この点に関しては相手の情報世界にお付き合いした上で、言葉よりも情動に重きを置いたコミュニケーションを取ることが出来たらば、そこはいくらか優しい世界なのではないかと思います。

実はコミュニケーション方法としては認知機能が健常な人同士でも円滑にやり取りが出来るヒントになりますね。

つまり住んでいる世界は同じでも、見えているというか五感がキャッチしたものを投影した世界がお互い違うということを認識したとき、もう少し高齢化社会が良い方向へ前進するのではないかと思いたいということです。

今後、自分よりも先に認知症なり認知能力が低下してしまう可能性がある身内がいる方には是非一読お薦めしたい一冊です。

各ブログランキングに参加しています

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村


人気ブログランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Scroll to top